大音量のおかしなイビキに悩まされながら4日目の朝が来た。
その日は窪川止まりなので、ユースを出るのを遅めにした。もう、出発したのか原付の彼女はいなかった。
まずは桂浜へ向かうが、高知市街から結構離れていた。闘犬と龍馬関連の資料館を見学。龍馬像の前で記念写真をパシャり。
国56号へ向けて県道を走る。道端はアイスクリンの露店が並ぶ。途中で飲み物を買う為に寄った店の親父と旅の四方山話をする。買い物をして出ようとすると、売り物のおはぎを僕に持っていけと言う。何度か断るが、いいからいいから途中で食べろと。あまり好きではないのだが、そう言う訳にもいかず、有難く頂戴した。3個は食べて、残りは路傍の地蔵様にお供えした。
中村街道(国56号)を西へ進む。須崎で昼食。4日目に入り、疲労が徐々に蓄積されたのか右の太股に鈍痛が出てきた。ドラッグストアに寄って店員に薬はどれがいいか聞くと、ここでも旅の話に。鎮痛薬の試供品をわざわざ集めてきて、ただでくれた。
四国は弘法大師の修行の地であり、88の寺々を巡礼して回るのがお遍路である。点在する寺を歩いて回るので、とても苛酷である。四国の特に遍路道沿いに住む人々はお接待と言って、巡礼者に対して何かしらの親切を施す。
その日は窪川止まりなので、ユースを出るのを遅めにした。もう、出発したのか原付の彼女はいなかった。
まずは桂浜へ向かうが、高知市街から結構離れていた。闘犬と龍馬関連の資料館を見学。龍馬像の前で記念写真をパシャり。
国56号へ向けて県道を走る。道端はアイスクリンの露店が並ぶ。途中で飲み物を買う為に寄った店の親父と旅の四方山話をする。買い物をして出ようとすると、売り物のおはぎを僕に持っていけと言う。何度か断るが、いいからいいから途中で食べろと。あまり好きではないのだが、そう言う訳にもいかず、有難く頂戴した。3個は食べて、残りは路傍の地蔵様にお供えした。
中村街道(国56号)を西へ進む。須崎で昼食。4日目に入り、疲労が徐々に蓄積されたのか右の太股に鈍痛が出てきた。ドラッグストアに寄って店員に薬はどれがいいか聞くと、ここでも旅の話に。鎮痛薬の試供品をわざわざ集めてきて、ただでくれた。
四国は弘法大師の修行の地であり、88の寺々を巡礼して回るのがお遍路である。点在する寺を歩いて回るので、とても苛酷である。四国の特に遍路道沿いに住む人々はお接待と言って、巡礼者に対して何かしらの親切を施す。
何か心に期することがなければ、苛酷な巡礼の旅は出来まい。そんな巡礼者の思いを感じ、その手助けをしてやろうとする、かの地の人々はそんな優しさを持ち合わせている。お遍路でもない僕までもが、何かとお接待を頂いたのである。有難い話だった。
土佐久礼から景野までは国58号の最大の難所である七子峠がある。海抜数mから一気に300mまで上がる急坂である。道が整備される一昔前までは乗用車さえ、途中で故障することが多かったそうだ。キャンプ道具に衣類など荷物約20kgを積んで走る僕にはかなり堪えた。
窪川駅に待ち合わせ時刻の1時間も前についた。だが、例のにいちゃんは30分ほど遅れてきた。近くの四万十川に移動。条件のいい河原にそれぞれテントを張る。日本最後の清流と云われ一度は来て見たかった川だった。近くには、沈下橋が見える。
焚き火を見ながら、酒盛り。盛り上がってくると、彼はあろうことかこう言った。
「今日は四万十川にテント泊するか迷って、約束をスッポかすつもりやった。旅の恥は書き捨てやからな。」
昨日の夜のイビキに続いて、この発言である。見上げると、光る砂を巻いたような星だらけの夜空。そんなことは些細な事は、どうでもよくなった。そうして、四万十の夜はふけていった。
土佐久礼から景野までは国58号の最大の難所である七子峠がある。海抜数mから一気に300mまで上がる急坂である。道が整備される一昔前までは乗用車さえ、途中で故障することが多かったそうだ。キャンプ道具に衣類など荷物約20kgを積んで走る僕にはかなり堪えた。
窪川駅に待ち合わせ時刻の1時間も前についた。だが、例のにいちゃんは30分ほど遅れてきた。近くの四万十川に移動。条件のいい河原にそれぞれテントを張る。日本最後の清流と云われ一度は来て見たかった川だった。近くには、沈下橋が見える。
焚き火を見ながら、酒盛り。盛り上がってくると、彼はあろうことかこう言った。
「今日は四万十川にテント泊するか迷って、約束をスッポかすつもりやった。旅の恥は書き捨てやからな。」
昨日の夜のイビキに続いて、この発言である。見上げると、光る砂を巻いたような星だらけの夜空。そんなことは些細な事は、どうでもよくなった。そうして、四万十の夜はふけていった。
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