学生の頃なので10年以上前の話だ。結局、計画倒れに終わったのだが、当時、自転車でモンゴルを横断しようと画策していた。その下準備というか、実際にどれだけ走れるのかを試そうと、四国一周の自転車の旅に出掛けることにした。
今も変わってないが、何事にも無軌道無計画、とりあえず踏み出してやりながら考えるタイプの僕はその2年前に旅行用の自転車を手に入れていたので、地図、リアキャリア、パニアパック、テント、寝袋など自転車旅行にとりあえず必要な物を一式揃えると、9月中旬のある日の午後、大阪の下宿先から四国一周に向けて出発した。確か、当日は台風一過で朝方まで雨が残っていたが、昼には風も弱まっていたので、「ええぃ、取り敢えず出発だ」と思い立ち家を出たのだ。
まずは和歌山港まで南下。フェリーにのり徳島県の小松島に17時に着。
いよいよ四国一周のスタート。どうせ走るなら海を見ながらと思い、眺めのよい時計回りを選択。その日は海岸線に平行して走るJR牟岐線の無人駅で寝るつもりでいた。阿南を抜ける頃には真っ暗で、少し行くと国55号は山に囲まれて登りになった。人家も全くない漆黒の山中を点々と続くオレンジ色の街路灯の光を標に登って行く。
今も変わってないが、何事にも無軌道無計画、とりあえず踏み出してやりながら考えるタイプの僕はその2年前に旅行用の自転車を手に入れていたので、地図、リアキャリア、パニアパック、テント、寝袋など自転車旅行にとりあえず必要な物を一式揃えると、9月中旬のある日の午後、大阪の下宿先から四国一周に向けて出発した。確か、当日は台風一過で朝方まで雨が残っていたが、昼には風も弱まっていたので、「ええぃ、取り敢えず出発だ」と思い立ち家を出たのだ。
まずは和歌山港まで南下。フェリーにのり徳島県の小松島に17時に着。
いよいよ四国一周のスタート。どうせ走るなら海を見ながらと思い、眺めのよい時計回りを選択。その日は海岸線に平行して走るJR牟岐線の無人駅で寝るつもりでいた。阿南を抜ける頃には真っ暗で、少し行くと国55号は山に囲まれて登りになった。人家も全くない漆黒の山中を点々と続くオレンジ色の街路灯の光を標に登って行く。
殆んど車の通りがなく、久しぶりに車とすれ違う。少しするとワンボックス車に抜かれた。
「さっきすれ違った車じゃねえか?
こんな山中で同じ車種に何度も出会うか?
気持ち悪ぃな」
そう思いながら進む。峠のトンネルを抜けて坂を下りきると日和佐の筈だ。坂を下っていると、少し先にあのワンボックスが止まっているのが見えた。しかも、運転手が手招きをしている。本格的にヤバいなと思った。無視して進もうかと躊躇していると、声を掛けられた。
仕方ない、何か話があるんだろうから聞いてやろうじゃねえか、と近寄る。運転手は初老のあまり人相よろしくない男だった。
「どこから来たの?
今からどこへ行くの?泊まるとこあんの?」
と矢継ぎ早に質問される。四国を一周するつもりで、大阪を出てきた斯斯然々と説明をする。すると、この先にドライブインがあって、そこの駐車場に無料宿泊所があるから、そこへ泊まれと云う。どうやら、その店のオーナーらしく、宿泊所もその人の持ち物らしい。帰宅途中に僕を見つけ、わざわざ引き返してきてくれたようだ。その日は有難くバスを改造した畳敷きの宿泊所に泊めさせてもらった。
この後、この旅で多くの人々と巡り合うことになるのだが、殆んどがこの薄汚い旅人に信じられないくらい親切にしてもらった。それは四国が多くの巡礼者が旅をする地であることに起因しているのだ。
つづく
「さっきすれ違った車じゃねえか?
こんな山中で同じ車種に何度も出会うか?
気持ち悪ぃな」
そう思いながら進む。峠のトンネルを抜けて坂を下りきると日和佐の筈だ。坂を下っていると、少し先にあのワンボックスが止まっているのが見えた。しかも、運転手が手招きをしている。本格的にヤバいなと思った。無視して進もうかと躊躇していると、声を掛けられた。
仕方ない、何か話があるんだろうから聞いてやろうじゃねえか、と近寄る。運転手は初老のあまり人相よろしくない男だった。
「どこから来たの?
今からどこへ行くの?泊まるとこあんの?」
と矢継ぎ早に質問される。四国を一周するつもりで、大阪を出てきた斯斯然々と説明をする。すると、この先にドライブインがあって、そこの駐車場に無料宿泊所があるから、そこへ泊まれと云う。どうやら、その店のオーナーらしく、宿泊所もその人の持ち物らしい。帰宅途中に僕を見つけ、わざわざ引き返してきてくれたようだ。その日は有難くバスを改造した畳敷きの宿泊所に泊めさせてもらった。
この後、この旅で多くの人々と巡り合うことになるのだが、殆んどがこの薄汚い旅人に信じられないくらい親切にしてもらった。それは四国が多くの巡礼者が旅をする地であることに起因しているのだ。
つづく
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