「いゃあ、全然ピークに着かへん。脚もつるし、暗くなってきたし、こりゃほんまにヤバい・・・・ツー・ツー・ツー」
なかちゃんの心もとなかった携帯の音声は遂に切れた。奈良県吉野大峰山系の真っ只中にいて携帯がまともにつながる訳がない。
室戸岬、蒜山高原と行き先が二転三転したキャンプツーリングですが、15・16日となかちゃんと奈良県の天川村まで行ってきました。目的地とルート設定をあまく見ていてしっかり確認しておらず、体調不良も重なって危うく人の助けを借りなければならない寸でのところまでいってしまいました。
それぞれテントに寝袋、パニアバックと荷物を満載にしたチャリで待ち合わせの武庫川を出発したのが8時。
炎天下の中、盆にも関わらず車が多い大阪市内で苦闘し、国165号で柏原から峠越えをして橿原市に抜ける。大阪から奈良への道をなかちゃんと相談していたが、他に比べて標高が低く正解だった。猛暑と体調が良くないことも相まって、なかちゃんに離されっぱなし。橿原神宮を横目に南下。大峰山系の山中にかる天川村へはキツい山道を登らなければならない。その麓で起点となる下市はあと15kmほど。なぜか、すぐに山が見えてきた。
なかちゃんの心もとなかった携帯の音声は遂に切れた。奈良県吉野大峰山系の真っ只中にいて携帯がまともにつながる訳がない。
室戸岬、蒜山高原と行き先が二転三転したキャンプツーリングですが、15・16日となかちゃんと奈良県の天川村まで行ってきました。目的地とルート設定をあまく見ていてしっかり確認しておらず、体調不良も重なって危うく人の助けを借りなければならない寸でのところまでいってしまいました。
それぞれテントに寝袋、パニアバックと荷物を満載にしたチャリで待ち合わせの武庫川を出発したのが8時。
炎天下の中、盆にも関わらず車が多い大阪市内で苦闘し、国165号で柏原から峠越えをして橿原市に抜ける。大阪から奈良への道をなかちゃんと相談していたが、他に比べて標高が低く正解だった。猛暑と体調が良くないことも相まって、なかちゃんに離されっぱなし。橿原神宮を横目に南下。大峰山系の山中にかる天川村へはキツい山道を登らなければならない。その麓で起点となる下市はあと15kmほど。なぜか、すぐに山が見えてきた。
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ご無沙汰していて申し訳ないです。途中になっている四国一周の旅も随時更新していきます。
今年の盆の休みはかなりタイトなスケジュールで進行する予定です。
一昨日、昨日と広島の自転車仲間のUさんの別荘に泊まり&ミニツーリングに行ってきた。
Uさんは田舎暮らしに憧れていて、いつかは田舎に家を買いたいと言っていたが、最近、広島県北の吉和に別荘を購入された。
どんなんか見せて欲しいと言ったところ、Uさんの友人で、前に横浜の某チームの練習に参加させてくれたOさんと息子さんがくるから、一緒に泊まればと誘ってくれた。
と、言うことで、ロードを積んで車で行ってのだが、ETCをつけてないこと、盆で渋滞することもあるので、往復殆んど下道。これはかなり堪えた。
初日は夕方からデッキでバーベキュー。その後、飲みながら四方山話をする。
2日目は早朝からロードツーリング。別荘のある吉和から戸河内へダウンヒル。三段峡方面に北上し、分岐して吉和川沿いを登る。普段からチーム練で鍛えているOさん親子はずんずん登って行く。僕はマイペースのUさんに着いていくのがやっと。約50km。2時間半のツーリングでした。昼過ぎには広島を後にしました。
今年の盆の休みはかなりタイトなスケジュールで進行する予定です。
一昨日、昨日と広島の自転車仲間のUさんの別荘に泊まり&ミニツーリングに行ってきた。
Uさんは田舎暮らしに憧れていて、いつかは田舎に家を買いたいと言っていたが、最近、広島県北の吉和に別荘を購入された。
どんなんか見せて欲しいと言ったところ、Uさんの友人で、前に横浜の某チームの練習に参加させてくれたOさんと息子さんがくるから、一緒に泊まればと誘ってくれた。
と、言うことで、ロードを積んで車で行ってのだが、ETCをつけてないこと、盆で渋滞することもあるので、往復殆んど下道。これはかなり堪えた。
初日は夕方からデッキでバーベキュー。その後、飲みながら四方山話をする。
2日目は早朝からロードツーリング。別荘のある吉和から戸河内へダウンヒル。三段峡方面に北上し、分岐して吉和川沿いを登る。普段からチーム練で鍛えているOさん親子はずんずん登って行く。僕はマイペースのUさんに着いていくのがやっと。約50km。2時間半のツーリングでした。昼過ぎには広島を後にしました。
大音量のおかしなイビキに悩まされながら4日目の朝が来た。
その日は窪川止まりなので、ユースを出るのを遅めにした。もう、出発したのか原付の彼女はいなかった。
まずは桂浜へ向かうが、高知市街から結構離れていた。闘犬と龍馬関連の資料館を見学。龍馬像の前で記念写真をパシャり。
国56号へ向けて県道を走る。道端はアイスクリンの露店が並ぶ。途中で飲み物を買う為に寄った店の親父と旅の四方山話をする。買い物をして出ようとすると、売り物のおはぎを僕に持っていけと言う。何度か断るが、いいからいいから途中で食べろと。あまり好きではないのだが、そう言う訳にもいかず、有難く頂戴した。3個は食べて、残りは路傍の地蔵様にお供えした。
中村街道(国56号)を西へ進む。須崎で昼食。4日目に入り、疲労が徐々に蓄積されたのか右の太股に鈍痛が出てきた。ドラッグストアに寄って店員に薬はどれがいいか聞くと、ここでも旅の話に。鎮痛薬の試供品をわざわざ集めてきて、ただでくれた。
四国は弘法大師の修行の地であり、88の寺々を巡礼して回るのがお遍路である。点在する寺を歩いて回るので、とても苛酷である。四国の特に遍路道沿いに住む人々はお接待と言って、巡礼者に対して何かしらの親切を施す。
その日は窪川止まりなので、ユースを出るのを遅めにした。もう、出発したのか原付の彼女はいなかった。
まずは桂浜へ向かうが、高知市街から結構離れていた。闘犬と龍馬関連の資料館を見学。龍馬像の前で記念写真をパシャり。
国56号へ向けて県道を走る。道端はアイスクリンの露店が並ぶ。途中で飲み物を買う為に寄った店の親父と旅の四方山話をする。買い物をして出ようとすると、売り物のおはぎを僕に持っていけと言う。何度か断るが、いいからいいから途中で食べろと。あまり好きではないのだが、そう言う訳にもいかず、有難く頂戴した。3個は食べて、残りは路傍の地蔵様にお供えした。
中村街道(国56号)を西へ進む。須崎で昼食。4日目に入り、疲労が徐々に蓄積されたのか右の太股に鈍痛が出てきた。ドラッグストアに寄って店員に薬はどれがいいか聞くと、ここでも旅の話に。鎮痛薬の試供品をわざわざ集めてきて、ただでくれた。
四国は弘法大師の修行の地であり、88の寺々を巡礼して回るのがお遍路である。点在する寺を歩いて回るので、とても苛酷である。四国の特に遍路道沿いに住む人々はお接待と言って、巡礼者に対して何かしらの親切を施す。
四国上陸2日目の朝。快晴。暑さでよく眠れなかった。早朝なので主人は店に来ておらず、一宿の恩義のお礼ができないまま日和佐を出る。
土佐浜街道を海沿いに、南西へ。左側は例えようのない青い色の空と青い色の海が水平線で区切らているだけ。台風が雲を吹き飛ばしてくれたが、波だけは高く荒く、潮が細かく舞い散って、視界全体が紗がかかっていて幻想的に見える。
海南、宍喰、東洋を抜け室戸岬を目指す。9月の中旬だが、日差しは容赦なく、とても暑い。15時頃に室戸岬に到着。中岡慎太郎像の前で記念撮影。最御崎寺まで徒歩で山道を登って参拝。食堂に入り鰹のたたき定食を注文し、早めの夕食。ここまで来たらやはり鰹を食べない訳にはいかない。味については記憶に残ってないから、大したことなかったと思われる。晩飯も喰ったので、後は宿探しになるがこの日は100kmも距離を稼げておらず、後々のことも考えて先に進むことに。その夜は奈半利の公園でテント泊。近隣住民のおばさんが差し入れをくれる。翌日は顔を洗えとバケツに水を汲んできてくれた。
3日目、奈半利を出発。昨晩も慣れないテント泊と暑さで眠れず。土佐浜街道を一路、北上。途中、安芸に寄って、野良時計を見学しいよい
土佐浜街道を海沿いに、南西へ。左側は例えようのない青い色の空と青い色の海が水平線で区切らているだけ。台風が雲を吹き飛ばしてくれたが、波だけは高く荒く、潮が細かく舞い散って、視界全体が紗がかかっていて幻想的に見える。
海南、宍喰、東洋を抜け室戸岬を目指す。9月の中旬だが、日差しは容赦なく、とても暑い。15時頃に室戸岬に到着。中岡慎太郎像の前で記念撮影。最御崎寺まで徒歩で山道を登って参拝。食堂に入り鰹のたたき定食を注文し、早めの夕食。ここまで来たらやはり鰹を食べない訳にはいかない。味については記憶に残ってないから、大したことなかったと思われる。晩飯も喰ったので、後は宿探しになるがこの日は100kmも距離を稼げておらず、後々のことも考えて先に進むことに。その夜は奈半利の公園でテント泊。近隣住民のおばさんが差し入れをくれる。翌日は顔を洗えとバケツに水を汲んできてくれた。
3日目、奈半利を出発。昨晩も慣れないテント泊と暑さで眠れず。土佐浜街道を一路、北上。途中、安芸に寄って、野良時計を見学しいよい
学生の頃なので10年以上前の話だ。結局、計画倒れに終わったのだが、当時、自転車でモンゴルを横断しようと画策していた。その下準備というか、実際にどれだけ走れるのかを試そうと、四国一周の自転車の旅に出掛けることにした。
今も変わってないが、何事にも無軌道無計画、とりあえず踏み出してやりながら考えるタイプの僕はその2年前に旅行用の自転車を手に入れていたので、地図、リアキャリア、パニアパック、テント、寝袋など自転車旅行にとりあえず必要な物を一式揃えると、9月中旬のある日の午後、大阪の下宿先から四国一周に向けて出発した。確か、当日は台風一過で朝方まで雨が残っていたが、昼には風も弱まっていたので、「ええぃ、取り敢えず出発だ」と思い立ち家を出たのだ。
まずは和歌山港まで南下。フェリーにのり徳島県の小松島に17時に着。
いよいよ四国一周のスタート。どうせ走るなら海を見ながらと思い、眺めのよい時計回りを選択。その日は海岸線に平行して走るJR牟岐線の無人駅で寝るつもりでいた。阿南を抜ける頃には真っ暗で、少し行くと国55号は山に囲まれて登りになった。人家も全くない漆黒の山中を点々と続くオレンジ色の街路灯の光を標に登って行く。
今も変わってないが、何事にも無軌道無計画、とりあえず踏み出してやりながら考えるタイプの僕はその2年前に旅行用の自転車を手に入れていたので、地図、リアキャリア、パニアパック、テント、寝袋など自転車旅行にとりあえず必要な物を一式揃えると、9月中旬のある日の午後、大阪の下宿先から四国一周に向けて出発した。確か、当日は台風一過で朝方まで雨が残っていたが、昼には風も弱まっていたので、「ええぃ、取り敢えず出発だ」と思い立ち家を出たのだ。
まずは和歌山港まで南下。フェリーにのり徳島県の小松島に17時に着。
いよいよ四国一周のスタート。どうせ走るなら海を見ながらと思い、眺めのよい時計回りを選択。その日は海岸線に平行して走るJR牟岐線の無人駅で寝るつもりでいた。阿南を抜ける頃には真っ暗で、少し行くと国55号は山に囲まれて登りになった。人家も全くない漆黒の山中を点々と続くオレンジ色の街路灯の光を標に登って行く。