ボクのガキの頃、東海道線に乗って大船駅を過ぎると、橋のような細いコンクリートの構造物が見えてきて、北の丘陵地帯の方にずっと続いていた。それが何なのか、不思議にだったが、子供には思いも及ばなかったし、なぜか親にも尋ねることもなかった。でも、そこを電車で通る度に楽しみでずっと眺めていた。
姫路で同じような構造物に出会ったのは小学生中学年の頃だ。初めて見た時、その何ともいえない期待感はガキの頃と同じだった。ただ、前と違ったのは、ボク自身がその構造物が何なのかを判っていたことだ。でも、それはところどころ途切れていて、朽ち果てた遺構だった。
月曜日に、地元の駅で姫路モノレール展示室オープンというチラシをもらってきた。例の朽ち果てた遺構とは、もう40年ほど前に廃線になった国鉄姫路駅と姫路城と並ぶランドマークである手柄山公園を結んでいた姫路市交通局モノレールの高架軌道、レールのことである。
やはり、同じく興味を持つヒトは多い様で、それを受けて、一昨年の11月に、手柄山中腹の閉鎖された地下駅に保存されていたモノレール車両が、駅から引き出され一般公開された。
姫路で同じような構造物に出会ったのは小学生中学年の頃だ。初めて見た時、その何ともいえない期待感はガキの頃と同じだった。ただ、前と違ったのは、ボク自身がその構造物が何なのかを判っていたことだ。でも、それはところどころ途切れていて、朽ち果てた遺構だった。
月曜日に、地元の駅で姫路モノレール展示室オープンというチラシをもらってきた。例の朽ち果てた遺構とは、もう40年ほど前に廃線になった国鉄姫路駅と姫路城と並ぶランドマークである手柄山公園を結んでいた姫路市交通局モノレールの高架軌道、レールのことである。
やはり、同じく興味を持つヒトは多い様で、それを受けて、一昨年の11月に、手柄山中腹の閉鎖された地下駅に保存されていたモノレール車両が、駅から引き出され一般公開された。
それが好評だったのと、姫路の歴史の一部として後世に伝えていこうとする目的があって、今回の常設の展示室が設置されたようだ。
近未来の都市交通であったモノレールが建設された70年代は、殆んどの人々が未来に対して過大な期待と希望的観測しか持ち得なかったと思う。
姫路も例外ではなく、将来的に人口100万都市という壮大な計画を立て、都市計画の一端にモノレールを据えた。そして、それを市内全域に張り巡らすだけでなく、鳥取まで延伸するという壮大な計画があったらしい。しかし、現実はどうか。未だに姫路の人口は50万であり、モノレールは鳥取どころか姫路駅と手柄山より延伸もせず敢えなく廃止になった。
20世紀初期から後半にかけての科学技術や文化の爆発的な進歩の中で、妄信的ともいえる未来像を描いた芸術や文学、ムーヴメントなど、そんな文化をレトロフューチャーというらしい。その未来への過大な期待感は、数十年後のボクからみれば、ペーソスに溢れ、滑稽でもあり、何よりダサカッコいい。だから、レトロフューチャーに惹かれる。
まだ、モノレールの軌道の一部は、残っているらしいので、それを見学がてらモノレール展示室を訪ねてみたい。
近未来の都市交通であったモノレールが建設された70年代は、殆んどの人々が未来に対して過大な期待と希望的観測しか持ち得なかったと思う。
姫路も例外ではなく、将来的に人口100万都市という壮大な計画を立て、都市計画の一端にモノレールを据えた。そして、それを市内全域に張り巡らすだけでなく、鳥取まで延伸するという壮大な計画があったらしい。しかし、現実はどうか。未だに姫路の人口は50万であり、モノレールは鳥取どころか姫路駅と手柄山より延伸もせず敢えなく廃止になった。
20世紀初期から後半にかけての科学技術や文化の爆発的な進歩の中で、妄信的ともいえる未来像を描いた芸術や文学、ムーヴメントなど、そんな文化をレトロフューチャーというらしい。その未来への過大な期待感は、数十年後のボクからみれば、ペーソスに溢れ、滑稽でもあり、何よりダサカッコいい。だから、レトロフューチャーに惹かれる。
まだ、モノレールの軌道の一部は、残っているらしいので、それを見学がてらモノレール展示室を訪ねてみたい。
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